四度目の挑戦 夜行日帰り天城山 |
天城峠から万三郎岳、万二郎岳への縦走 |
リーダー 加藤正 |
2008年11月2(日) 晴れ時々曇り |
参加者 総L兼第1班L加藤正、SL生澤、森、別所 加藤由、大賀、鈴木真、山崎、 鈴木義 第2班L和田冨、SL平田、和田ち、山田 矢部、寺尾、加藤利、古川、遠藤、佐藤 19名 |
昭島駅11月1日 23時発 11月2日 新天城トンネル(6:00) → 旧天城トンネル(6:10) → 天城峠(6:35) → 八丁池(9:10) → 戸塚峠(10:30) → 万三郎岳(12:20) → 万二郎岳(13:30) → 天城高原ゴルフ場(14:40) 所要時間8時間40分 これまで3回天城山を計画した。雨で流れたりして果たせなかった。今回は4度目の試みで、天気に恵まれ秋の天城山縦走を行ってきた。 朝6時、新国道天城トンネルバス停で、エーアイ観光のバスを下車。天城峠に向けて歩きだす。寝不足で重い身体であるはずが、いざ、登山開始となるとシャキとするのは毎回のことだ。 新国道から旧道の天城トンネルまでは僅か10分足らずで到達する。旧天城隧道は明治38年に開通したというトンネルであり、現在も使用されていて、トンネル内には照明設備が現在も稼働していた。このトンネルが出来たお陰で陸の孤島状態であった南伊豆(現在の河津町周辺)と北伊豆との交流が盛んになったということである。また川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台ともなった下田街道のトンネルとはこの旧道のトンネルである。 さらに20分登ると天城峠に出た。こじんまりとした峠であり、静かなたたずまいであった。あの歌声で有名な「天城越え」はほんとうに静かであった。幾多の歴史を秘めているだろう峠、天城峠から天城山縦走が始まる。 歩き出してみると遊歩道と言っても良いような広い道であり、腐葉土でふわふわした感触のいい山道を歩く。秋はこれからではあるが、紅葉が始まっていてなんとも穏やかな緑、黄色、そしてあざやかな赤が混じる紅葉の山腹を楽しみながら歩く。ブナ林にヒメシャラが混じり他の山にはない雰囲気がある。なんとなく他の山とは違ってたおやかな風情で伊豆の山にきたことを実感する。 この山道は先般の台風9号で一部崩壊したところから、今年8月までに新しい山道が造られていて、山腹をまきながら歩く従来の登山ルートでなく、今回は尾根を歩く道となっていて、ブナ林とヒメシャラの林をより一層堪能することが出来た。これまで3回機会を作ったがいずれも不調に終わっていたが、今回4度目にして、歩いていて癒される伊豆の山を訪れることが出来て幸である。 ゆったりと落ち着いたハイキングで八丁池に至る。 八丁池、ここは標高1150bであり、火口湖である。天城山というが、この名称は成層火山群の総称ということで、これから辿る縦走路の山々も、万三郎、万二郎も火山が作り出した山ということである。 八丁池で20分ほど休憩し、いよいよ縦走路の核心に向かう。穏やかな登山路も戸塚峠くらいまでで小岳の登りから、一変し険しい山道となり、岩場も出てくる。急登し小岳に至る。今までの雰囲気とは異なり山容も険しくなったが、変わらないのはブナ林であり、こんなにブナ林が山全体を覆っているのは珍しいのではないだろうか。 この縦走路の主峰とも言うべき万三郎岳は1406bである。この山頂に来ると急に山が賑やかになり、騒々しい雰囲気に変わる。ここまでは反対側から登って来た人達が沢山いて、ここからUターンして戻る人達であろう。一過性の百名山であり、万三郎と万次郎をそそくさと登り、百名山一挺上がりとする人達であろう。 万三郎岳の下りは厳しい山道であり、これを下りきり、アセビという他の山では見かけないトンネルを抜けてもう一つ山をこえていく。途中の展望台からは振り返ると万三郎岳が鐘状にこんもりとしていた。そして紅葉の枝越しに秀麗とも言うべき富士山が、ここからは黒富士となって見えていた。実に良い姿であり、なんど見ても見飽きない富士の山だ。 ようやく天城山縦走の最後のピーク万二郎岳は標高1300bに至る。すでに8時間近く経過していて当初予想したより時間はかかっていた。深夜バスであり、全員かなりの疲労であろう。ゆっくり下り事故だけは避けたいものだ。トップを歩くリーダーは、この点は心得ていて、ヒメシャラとシャクナゲの下山道を「ゆっくり」と下る。 |
(記:加藤正) |
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