1千年以上歩き継がれた世界文化遺産
予約  熊野古道(小辺路/こへち) 計画要約
リーダー  加藤正
 平成26年5月13日(火)から平成26年5月17日(土) 
車中泊含め5泊6日

参加者 L、GABIBO SL KAIKUN BE-CHAN 柚子、サンコウ(記録)、ポッポ(会計) 6名                    
 熊野古道とは、神々の座す国、熊野三山へのルートとして1,000年以上歩き継がれて来た路であり、紀伊路、伊勢路、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道などを含め総延長755㎞と言われ2004年に世界文化遺産に登録された。
 今回辿る小辺路は、そのうち熊野三山に至る路としては最短距離70㎞で高野山と熊野三山を結ぶ路として歩かれていた。
 
○5月12日(月)
 「はなの舞」にて出発式後、昭島駅南口22:33発→夜行高速(南海)バス→大阪
 
○5月13日(火)晴れ
 6:55着/南海なんば高速タ-ミナル/南海難波駅7:33発→極楽橋→ケーブル→9:15着/高野山→バス→千手院橋バス停→高野山→金剛峯寺→小辺路 9:35小辺路入口→10:00薄(すすき)峠→11:10丁石(昼食)→11:55大滝集落→高野龍神スカイライン→12:55/水ヶ峰入口→132:45東屋→14:25平辻→15:15大股→15:35かわらび荘

 慌ただしく高野山に至り、空海が起こした真言宗総本山 金剛峯寺を見学する。ここは豊臣秀吉のゆかりの寺であり、亡き母が供養されている寺でもあり、豊臣秀次が秀吉に命じられ切腹させられた寺としても知られているが、今日は静かに参詣する人がいた。9時35分千手院橋バス停よりいよいよ高野熊野参詣道「小辺路」に入る。熊野三山信仰とは無縁であるが、観光、名所旧跡探訪、登山、ウオ-キングを目的として歩き始めた。
 私達以外に先行する単独行者がいるだけでここもまた静かなスタ-トを切る。しばらくは尾根道を辿る。見晴らしもいい。初めて訪れる地だけにいろいろと好奇心を燃やす。ほとんど平坦な尾根道ががらりと変わるのは薄(すすき)峠に至ってからだ。
 ここから急な下りとなる。なんと御殿川橋まで下りに下り、谷底から再び登り返す。登り返しが厳しい。小辺路は参詣道である前に生活道としても使用されていた道であるが、現代人である私たちから見るとほとんど登山道そのもので決して楽ではない道である。
 大滝集落を過ぎて、小辺路は一変する。高野龍神スカイラインの車道を歩くことになり、さらに、その先ではタイノ原林道を歩くことになり、いずれも小辺路はそこでは崩壊していて味けない思いをする。
 本日の終わりである大股に至り、出迎えを受け、本日の宿「かわらび荘」に入る。まずすることは野迫川(のせがわ)温泉に入り汗を流すことだった。宿の心づくしの「おもてなし」を受け宴会はお酒、お酒で盛り上がる。
 そこの大女将から、「小辺路の道をつぶして高野龍神スカイライン、タイノ原林道が作られたのは世界文化遺産登録の5年前でした。大変残念なことをしました。」ということであった。
 
○ 5月14日(水)晴れ
 朝食6時/かわらび荘/7:00→7:10大股→8:00萱小屋8:10→9:00桧峠910→10:30伯母子岳10:40→伯母子峠→11:30/上西家跡/12:00→12:55水ヶ元茶屋跡→14:30三田谷橋→15:05農家民宿「やまもと」

 大股から萱小屋にかけては急登、急登である。登山としてもきついクラスに入る。本日は日本200名山、伯母子岳に登ることも予定している。

 桧峠を越えていよいよ伯母子山1,344㍍に立つ。360°の展望とはこのことを言う。紀州の重畳たる緑濃い山並みが果てしなく広がる。高山ではないが広いおおきい奥深い山々また山だ。十津川の谷を隔てた向こうは大峰山脈であり、さらに、その先は大台ヶ原だ。なんと雄大な眺めだろう。
 伯母子峠は自然林、原生林にかこまれた峠であった。ここから今思い出しても鮮やかな彩り濃い思い出となる、緑、新緑、深緑の林であった。そして時折ツツジの紅と赤で心癒される、いつまでもこの森の中を歩き続けたいと思う。それが1時間も2時間も続く。楽しい、来てみて良かったと心より思えた。
 小辺路の宿「上西家跡」も、深山の中、これほどまで広い台地があろうかと思える広さであった。水田も往時はあったとのこと。
 ここからは 緑とツツジを交えて辿る道には水ヶ元茶屋跡であるとか、侍平屋敷跡とか1時間くらいのところに昔の暮らし跡が転々としていた。
 小辺路は緩やかに下り、五百瀬(いもぜ)の二田谷橋に出て、今日の宿、「農家民宿やまもと」の迎えを受ける。
 汗を流し、やまもとのご夫婦の「おもてなし」を受け、また宴会、酒浸りである。宿のご主人が十津川村議員であることからいろいろと話もあったが、酒の上で 夢うつつであり忘れてしまい残念だ。
 
○5月15日(木) 曇り
 朝食6時/やまもと/6:50→船戸橋→7:40吉村家跡→8:30三十丁の水8:35→9:15三浦峠9:30→9:50/古矢倉跡9:55→10:15/出店跡→11:15/矢倉観音堂/11:45→12:30/西中バス停/14:020→14:45/十津川温泉やまとや
 
 今日の小辺路は三浦峠1,080㍍越えである。また急登で始まった。夜半 雨が通過していった。霧が山腹を巻いてあがる。ツツジが赤く緑が濃い。急登であり汗が噴き出す。水が欲しいところで。三十丁の水に遭う。
 今日は3日目であり、多少疲れもあるか、あるいは毎晩の呑みすぎであるのか、五百瀬から標高差700㍍ある三浦峠まで身体が重かった。
 峠からは比較的細い道を下る。ところどころ急なところもあるが、矢倉観音堂で昼食とする。今日はゆっくりゆったりと行こうと昼食に十分時間を取り、西中のバス停に下る。
 今日は十津川温泉泊りであり、温泉が楽しみである。しかし、西中から小辺路は崩壊していて車道となる。車道を2時間もあるくのでは返って身体に悪いと理由付けして、ここはバスでつなげることとした。バス停の売店「田の岡」で座敷にあがりくつろぐ。「おもてなし」は小辺路ではどこでも暖かい。
 十津川温泉「やまとや」はお客さん「ほったらかしの宿」であった。しかし温泉は良かった、総桧造りの源泉掛け流しであり、疲れは取れた。ここはここの「おもてなし」があり、都合30畳の大広間は開放感があり、それはそれでくつろげた。
 
○5月16日(金)
 朝食7時/やまとや/7:30→7:45/果無(はてなし)入口→8:20/果無集落→8:55/天水田跡→9:30/観音堂/9:45→10:15/果無峠→11:15/三十丁石→11:30七色集落→12:05/道の駅熊野古道ほんぐう/12:05→14:20/熊野本宮大社/15:20→那智駅→17:40那智美滝荘→那智滝→21:30就寝

 ここも例外なく小辺路は急登で始まり、今日は果無(はてなし)峠1,114㍍を目指す。往時、旅人相手の茶屋があったという果無集落まではきつい石畳の登りであった。石畳の道は滑りやすい、また、崩れた場所は危険ですらあった。
 果無峠は風か強く寒いくらいであった。この果無峠をもつて、小辺路のすべての峠を越えてきた。あとは熊野本宮大社に下るだけである。下りは急であり、石畳道であり、滑りやすい。石組が崩れていて歩きにくい。ところどころ今が盛りの石楠花の群生しているところがあり、目を楽しませる。
 疲れもあり、今日、これから熊野本宮大社に出て15時20分のバスに乗り、熊野那智大社まで行かなければならないため時間的に急ぐ必要もあり、気ぜわしい下りとなる上、危険ですらある石畳が続く。
 結局、ショ-トカットし七色分岐から七色集落のバス停に降り、車道4㎞を熊野本宮大社に急ぐ。熊野大社途中新道が出来ていて迷い、全く方向違いをいくところであったが、仲間の機転で正しい方向を取り、道の駅にて遅い昼食をとり、さらに平石から再び小辺路に入りようやく熊野本宮大社にたどり着いた
 現代の装備と体力を持って小辺路を踏破してみたが大変厳しい道のりであり、往時の参詣人は強い信仰心があって歩ききったと思われるが本当に敬意を表せざるをえない。
 本宮大社からバスにて那智駅経由、熊野那智大社の近くの宿「美滝山荘」に入る。
 その夜、名瀑那智の滝133㍍がライトアップされめったにない光景を目にすることが出来た。

○5月17日(土)晴れ
 5時起床 熊野那智大社→那智山青岸渡寺→那智飛龍神社→那智の滝→朝食7:00/美滝山荘/8:10→大門坂9:16→勝浦駅10:00→新宮駅→10:45熊野速玉神社11:00→新宮駅→南紀ワイドビュ-→名古屋駅→東京駅→昭島駅

 熊野三山巡りの内、これまで熊野本宮大社、熊野那智大社を訪れることが出来た。熊野三山の内、残る熊野速玉大社は残念ながらパスせざるをえないかと思っていたが、朝5時起床し熊野那智大社、青岸渡寺と那智飛龍神社と那智の滝を巡ってしまい時間的に余裕があることから、バスの運転手の教えに従い新宮から熊野速玉大社にいくことが出来た。
 熊野信仰は古来 修験道の修行の地として始まり、やがて平安時代後期ともなると3社それぞれの神が共通の祭神とされるようになり、さらに神仏習合へとすすみ熊野本宮大社の主祭神 家都御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来、熊野速玉神社の熊野速玉男神は薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神は先手観音とされ絶大な信仰を得た。平安時代には歴代の上皇の参詣が多数回行われたといわれる。
 小辺路は熊野三山参りが目的で開かれた庶民のための道であるが、なんと私たちも熊野三山をすべて訪問することが出来た。ある人は敬けんな祈りをささげ、ある人は歴史の一面を見て往時をしのび、ある人は登山と観光を堪能した5日間であった。

  参加した仲間に感謝、天気に恵まれ感謝、感謝!!!






 
 


(記:加藤正)
 

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