ウオーキング 滝巡りと城跡と温泉  
払沢の滝、吉祥寺の滝、瀬音の湯(入湯)
リーダー  GABIBO
2016年2月10日(水) 快晴

L:GABIBO、SL:タバ、Micky woods、su-ma、フラット、空、サスケ、ヨッシ-、Kちゃん、スミオ、ジル
 男6名 女5名 11名
武蔵五日市駅→払沢の滝前→払沢の滝→滝前→本宿→吉祥寺→檜原城跡→吉祥寺→吉祥寺の滝→本宿バス停→瀬音の湯→武蔵五日市駅

 本日、快晴である。天気よければすべてよしという具合には行かなかった。全面氷結である筈の払沢の滝は全く氷結していなかつた。これを期待して来られた方には誠に残念なことだったのではないだろうか。
 武蔵五日市駅を出て、払沢の滝前でバスを下車する。滝までの遊歩道はよく整備されてて歩きやすく15分もすると払沢の滝に至る。全くと言っていいくらい氷結していない。
約2段30㍍は水量豊富に流れいた。カメラマンが10名もいたろうか、ただ流れる滝を撮るばかりでむなしさが漂う。
 集合写真を撮り下る。出口の檜原豆腐 ちとせ屋にて一個90円の揚げたてのおから
ド-ナッを賞味する。本宿(ホンジュク)まで戻り吉祥寺(禅寺)の脇を檜原城跡を目指して登る実に急峻な登りである。これがウオ-キングという声あるも、予定であり時間かけて登る。
 途中、檜原城跡について説明板があったが今一つ説明不足であり、要領を得ないのでネットから下記を引用する。
 
檜原城跡の歴史
 天正十八(1590)年の小田原の役では 平山伊賀守氏重が守備に当たっていたが、
六月二十三日に八王子城が落城、氏重は八王子城代・横地監物ほか敗残兵をまとめて
豊臣、徳川連合軍 前田利家、上杉景勝らの軍勢と奮戦したが敵わず、七月十二日に落城、平山氏重、新左衛門親子は城下千足の「かくれ岩」で自害した。徳川家康の関東入封と同時に廃城となった。
 秋川渓谷沿いの風光明媚な街道を西へ向かうと、目の前にいかにも目立つ異様な姿の高峰が現れます。この標高452mの高峰の手前で道は秋川渓谷方面と浅間峠、奥多摩周遊道路方面に分かれますが、かつてはこの浅間峠方面の道が武蔵と甲斐を結ぶ唯一の街道だったそうで、檜原城はその街道を監視する重要な城でした。
 小田原の役ではたった一日で落城した八王子城の敗残兵を収容し立て籠りますが、衆寡敵せず落城、城主の平山氏重は城下にて自刃しました。
 この平山氏はこの地の在地土豪であったようですが、北条氏に重く用いられていたらしく、無血開城した城も多い中、一門なみに闘い、そして死んでゆきました。「氏」の文字も、北条氏から与えられたものでしょう。
 一般に動員軍事力の割には激戦の少なかった、といわれる小田原の役ですが、当時は住む人もまばらで人里からはなれたこの山中では、どんな闘いが演じられていたのでしょうか。
 以上はコピペです。

 檜原城跡の下りは別の道を辿り、急峻なだけに転倒転落を心配したが、事なきを得て下山する。昼食後は吉祥寺の滝を目指すが、この滝まで導く遊歩道は壊れていて工事中であり、引き返す。
 本宿バス停に戻る。ここは檜原村役場前である。時間があったのでバス停近くの看板を見るとここは歴史的にきわめて重要な拠点で会ったことが知れる。ここは箱根関所、小仏関所等と比較すると格が落ちるが関所機能を持った江戸幕府の番所跡であった。
 
 ウオ-キングは面白い。興味を持っているとどんどん情報が入ってくる。
 バスにてもどり瀬音の湯にて入浴し、軽くビ-ル、酒で乾杯し、15時04分のバスにて武蔵五日市駅に戻った。


滝前にて
 


 檜原城跡からの展望
 

檜原口留番所についての説明



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