歴史探訪ウオ-キング 新撰組副長土方歳三のふるさとを訪ねて
高幡不動駅日野駅周辺散策
リーダー GABIBO
2016年5月11日(水) 曇り時々小雨

L:GABIBO、SL:KAIKUN、Michy woods、キョンキョン、ミ-タン、めぐちゃん、カズさん、GIRASUN、MIZ、スミオ、つくし、あがる
計12名

立川北駅9:00→高幡不動駅→高幡不動→石田寺→土方歳三資料館→11:30日野市立新撰組のふるさと歴史館→12:30日野宿交流館→日野宿本陣→13:30日野駅→立川駅

 新撰組副長 土方歳三とは一体どんな人物であったのか?いろいろと人物像については近代史であきらかにされつつあるが、当時としては長身で総髪、色白端正な顔立とあれば女性達がその魅力の虜(とりこ)になっていたのも無理はない。生涯独身で戦いの日々に明け暮れ短い生涯であったが、その内容は濃い。
 武士に憧れ、最後は幕臣となり、武士の鑑として死する人生に果たして悔いるところがあったか?
 5月11日は歳三の命日である。この例会計画を立案したときには全くそのことを考えていなかったが、命日当日に土方歳三を訪ねるウォ-キングをするとは思わなかったが、これも縁ということか。
 高幡不動尊の境内は歳三が剣術の稽古に励んだところといわれる。現在もそこには銅像と顕彰碑かあった。そこから菩提寺の石田寺(せきでんじ)までは遠かった。今年は5月8日が「歳三忌」であり墓にははなやかな花がそえられていた。
 そこからさらに土方歳三資料館にたどり着くが本日休館ということで、全員が力を落とす。無理もない堅いコンクリ-ト道を歩いて膝と腰に負担をかけてきた結果が休館日とはガッガリした。
 さらに堅い道を歩いて日野市立新撰組のふるさと歴史館にたどり着いたときはひどく疲れた。山と違い緑はなくも変化もない騒音の道路歩きは疲れる。歴史館にていろいろと新撰組について学ぶ。幕末の京都は政治の中心であったが、諸藩から尊皇攘夷、徳川幕府倒幕の志士があつまり治安は悪化、京都所司代、京都町奉行では防ぎきれないとみた幕府は献策で文久3年(1863年)に浪士隊を募り、後日、新撰組の発足となった。
 それからの新撰組の活躍は池田屋事件に始まって明治2年(1869年)戊辰戦争終結までの6年間は短いが激闘につぐ激闘ですざまじい日々であった。歳三は明治2年5月11日に函館戦争にて戦死。墓は5ヶ所くらいあるとのことである。
もう12時近い昼食の場所を探すが日野宿交流館まで我慢しようやくたどり着き、一息入れる。
 午後は日野宿本陣を訪れる。新撰組の発足当初のスポンサ-であった佐藤彦五郎の自宅兼本陣であった。大名を迎え入れる本陣であり、格式は高いが彦五郎は土方歳三の義兄であり、近藤勇との交流は当時頻繁であったと言われる。歳三が昼寝した部屋であるとか、沖田総司が四股を踏んだところとか紹介された。
 疲れたが新撰組と近藤勇が土方歳三のふるさと日野宿ときわめて縁が深かかったのがよく解ったのは疲れたが収穫であった。 
 後日、土方歳三資料館を訪れたいと思う。


新撰組隊士の羽織を着て撮影 背景 土方歳三



新撰組隊士の羽織を着て撮影 背景 土方歳三



石田村名主宅前にて


 
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