47年前の昭和34年1月、今は亡き AK と登った天祖山に行ってきました。その時は孫惣谷から立岩により、天祖山に登ったが、今回は八丁橋から登りました。
相変わらずの雨男であり、今回も前夜70%という雨予報が出ていて、私に加えて2名参加はありがたいやら、うれしいやらで勇気百倍。
奥多摩駅から乗ったバスの中で雨具を付け完全武装、雨中登山の覚悟を決めていたものの、意外に雨は降らない。登山口で雨具をはずし、元気に3人で標高差1.000mを登り始めた。 のっけから急登。崖に石垣を組んで路は造られていて、本来は安心して登れるはずですが、急な上に狭い路に落ち葉がしっかりと乗っていて滑り安く、慎重に歩を運ぶ。
いつまでも車道が真下に見えていて急な登り。ZIGZAGを何回も繰り返し、30分ほどで尾根に出た。ここで休憩。 ここまでのことは、最近登った江幡氏が慎重にと言っていたところであり、なるほど彼の言う通りと納得。
尾根に出てからは、急ではあるものの先ほどみたいな緊張感はなく、ひたすら上を目指す。 登り初めて1時間で電波反射板施設に到達、二回目の休憩。ここは標高1.300m付近、いいペースで3人とも歩調に乱れなく登ってきた。 雨は降りそうで、降らない。ここからは本仁田山がハッキリと見える、石尾根の上部は雲の下である。まだまだ雨の心配は残る。
そこからしばらく行くと、大日大神という社なのか、なんなのかハッキリとしない木造の無人で古びたおおきな建物に出会う。どんな目的で建てられているのかが解らない。「知る人ぞ知る」であろう。

そこからも急登は続き、いったんは平らなところに出るが、やがて岩混り尾根となり、さらに急な登りは続く。 もう頂上も近いであろうところあたりからブナ、ナラ、コナラ、ミズナラ、岳樺の自然林が現れ始めた。 しかし、よく見ると倒木が目立ち、立ち枯れたブナの大木が、登山道わきに立っていて痛々しい。岳樺も多く倒れていてその白さが痛々しい。この自然林の先行きは不安いっぱいである。
47年前はどうであったか、記憶はまったくないが、感じとしては全体に凜とした雰囲気があったように思う。
現在は痛々しい位にこの自然林は荒廃しつつある。間違いなく荒廃している。広大な自然林がどんな理由で立ち枯れて、その後、倒れていくのか、奥多摩では数少ない自然林だけに崩壊していくのは残念なことだと思う。
頂上は間近いが、急登、急登の連続で、やや足にきたか、なかなか足があがらないが、なんとかかんとか3人は3時間で頂上に至った。
天祖山の頂上部は天 祖神社がでんと鎮座し周囲を威圧していた。頂上らしい頂上標識も派手なものはなく、方向案内板の標柱に天祖山とあるだけで、素っ気ない。気がつくと、標柱のまん前に頂上三角点があった。
展望もなく、今一、満足感がなく、なんとなくしらける。信仰の山であり、一切の虚飾を廃しているのだろうか。ただ、頂上部の神社わきは広場となっていて、どかっと座り昼食とする。
ここも立ち枯れた木を切ったので広場となったようであり、こんな風になってしまうのかと将来の自然林に思いを馳せる。
ゆっくりと休憩を取り、来た道を下山。 急なだけに下りは早い。ところどころ晴れ間が見えだしていて、朝方の雨の不安が嘘の様である。ようやく周囲が見えてきた。
本仁田山の隣の川苔山も山全体がよく見える。石尾根の雲も取れ、鷹巣山もハッキリとしている。ただ下山する路は落ち葉に埋もれていて、しっかり道を見ながら下山する。この山では過去、道迷い遭難が多いと聞いている。今は明るいからいいが、暗くなってからの下山は難儀するであろうと思われる位に、結構、入り組んだ山容であり、道も複雑で、しかも落ち葉に覆われているので注意しなければならない。
問題の急下降であるが、車道が直下に見えるくらい高度感があり、転落事故はあってはならない。慎重に下る。一歩一歩確かめ下るリーダーのへっぴり腰を後続するメンバーは笑う。
危険なところは慎重であるのがいいに決まっている。
最後の最後まで気の抜けない下降を終えて登山口に頂上から2時間で戻っていた。 (記 加藤)
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