歴史を訪ねて、緑陰ウォ−キング
玉川上水緑道を歩く  その1
リーダー 加藤正
2011年10月19日(水)

L:加藤正、SL:生澤、石村、増田、小川、鈴木真
大浦、加藤登、玉城、平田、板谷清
 (合計11名)
 玉川上水は御存知の如く、沿線市民のいこいの散歩道である。緑道がよく残っている。誰しも歩いた経験を持つ。この玉川上水の起点から終点までの43qを、
今回3回に分けて歩こうという企画である。
 玉川上水はいまから359年前に時の政権、徳川幕府が江戸の飲料水の不足を解消するため、工事の総奉行に川越藩主松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(没後忠克)を据え、庄右衛門、清右衛門(玉川兄弟)が工事を命じられ開削したと伝えられる。工事は標高差100bしかない工事で難航したというが、羽村から四谷大木戸まで43qを実に2年足らずで完成させたということで、当時の金額6,000両がついやされたというが、金額が工事の後半では足りなくなり、玉川兄弟が私財を投げうってまでして完成させたという。その功により、玉川姓を許され、玉川上水役をおおせつかったという。
 いまでも利用され続けている玉川上水は貴重なる資源であり、先人の苦労が偲ばれる。
 
 19日は、曇りであり、どんよりとした天気。羽村堰から歩き出す。歩き始めは緑道を快適に歩く。福生市が公園を整備しており、いくつか公園を辿る。
 しかし、残念なことに、30分も歩くと、歩きやすい緑道がなくなる。しかたなく脇にそれて「まぼろしの酒 嘉泉」田村酒造を通り、さらに「ほたる公園」を経て、青梅線脇に出て、玉川上水緑道である水喰土(みずくらいど)公園に辿りつく。 水喰土とは玉川上水の工事を遅らせた原因となったところの名であり、折角通水しても水を吸い込んでしまう透過性の高い関東ローム層を意味する言葉である。この辺りがそうだったのだろうか。
 やがて拝島駅北口に到達する。もう11時半すぎであった。ここで今回、久しぶりに参加したへイちゃんが残念ながら降板。
 昼食を終えて、今度は玉川上水緑道がよく残された上水を歩く。拝島から昭島、そして立川辺りまでは参加したメンバーは先刻承知した道であり、賑やかに歩く。
 
 玉川上水駅にたどり着いて時は2時であり、本日約13qを歩いたことになる。
次回はさらに参加者増を期待したい。
  

玉川上水緑道



まぼろしの酒、嘉泉 田村酒造



サボテン


 

多摩川から玉川上水に勢いよく流れ込む



玉川兄弟



アルコ名物集合写真


(記:加藤正)

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