登山と温泉の百名山
【予約】 雨飾山1963m
リーダー ダーGABIBO
 2022年8月24日(水)〜25日(木)

GABIBO、B−CHAN
男2名  計2名

 雨予報であるが、小雨ならあえていこうとしたがキャンセル続出、やむなく半世紀になる山仲間コンビB−CHANと出かける。雨で山がだめなら秘湯の湯があるさ、また、開業7年の北陸新幹線にも乗車して見たいと、それなりに楽しみがある観光旅行となった。
 24日 北陸新幹線はくたか557号東京9時32分発、自由席は10人程度の乗客であり、ゆったりと座る。大宮を過ぎるともう軽井沢である、快適、快適、早い、早い、所要時間2時間5分、11時37分日本海側の糸魚川駅着である。駅を降りると閑静な町並みの人口4万人糸魚川市である。駅から西に向かつて500mも歩くと日本海展望台である。曇り空で日本海は沈んでいた。早稲田の校歌「都の西北」の作詞で知られる詩人、歌人の相馬御風宅(県史跡)に寄る。静かだ、人通りもない。外に見るべきものは古事記によると大国主大~が求愛し妻にしたという奴奈川姫(ぬなかわひめ)像がそこここにある。糸魚川と言えば大地溝帯フォツサマグナの糸魚川静岡構造線の西端の起点で知られる。謙信が信玄に送った「敵に塩を送る」故事、塩の道の起点でもある。さらにさらに翡翠の大産地でも知られる。相馬御風は奴奈川姫が翡翠の匂玉を付けていたのでもしかすると糸魚川が翡翠の産地かもという疑問が端緒となって、その後紆余曲折を経て大産地であることが判明した史実もある。
 タクシーは姫川上流に向かう。運転手さによると、この姫川上流の明星山山麓の小滝川ヒスイ峡がヒスイ公園となっていてヒスイがゴロゴロとあるらしい。雨飾温泉、雨飾山荘/標高900mまでのタクシー代8250円は痛かつた。秘湯の湯(日本秘湯の会)、雨飾温泉に来たかつた。源泉掛け流し温泉にはここしばらくはご無沙汰であつた。本日の客は我々二人だけである。100人収容の宿で、二人だけ、ゆったりできる。雪国の木造建築物で太い柱、梁が特徴の宿である。
さっそく「都忘れの湯」、露天風呂に入る。無色、透明な熱い温泉だ。湯船が5人も入ると窮屈そうな露天風呂。ここでも野郎二人でよかつた。少しのぼせる。岩に腰掛け、しばし、時を過ごす。
 過去、二回、小谷(おたり)温泉山田旅館に泊まり、雨飾山を登った。山田旅館は江戸期に建てられた木造3階建ての温泉は「現夢の湯」と称し、いい温泉であつた印象が強くある。今日で雨飾山の東と西の温泉に入ったことになる。両温泉ともに重曹泉である。内風呂にも入る。ここも100人収容の宿にしては小さめな風呂だ。やはり二人だけでのんびりできた。
 25日 朝、5時朝食をとり、雨飾山登山に掛かろうとする。雨は降っていない。が、濃霧である。しばらく見ている内に戦意喪失、濃霧の雨飾山を登ってもなにも見えない。止めだ。B−CHANも快く同意してくれた。また、朝風呂だ。霧の中、温泉に入るのも風情がある。チェツク アウト10時までゆっくり朝寝し、湯疲れを感じながらタクシーで糸魚川に向かう。
 糸魚川に出たものの12時47分発東京行きはくたか562号にはまだ時間がある。急には次の見学先が浮かばない。駅のパンフレツトで駅から歩いて7分の奴奈川姫を祀る奴奈川神社(A)に行って見る。ここで新たな知見が得られる。ここは大国主大~(おおくにぬしのおおがみ)を祀る出雲大社(B)、そして建御名方神(たてみなかたのかみ)を祀る諏訪大社(C)と関係深い神社だ。AとBは夫婦、AとCは母子関係、BとCは父子関係だということ。この3社は古事記の世界、いずれも過去訪れたことがあり懐かしく思い出す。
 天気がよくないがために雨飾温泉でのんびり、ゆったり出来て、これはこれで充実だ。
 

 
 

露天風呂。



濃霧


 
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