歴史あり、湧水あり、足元に紅葉あり! |
国分寺散策 姿見の池-お鷹の道-殿ヶ谷戸庭園 |
リーダー GABIBO |
2015年12月9日(水) 無風 快晴 |
L:GABIBO、SL:グッチN、中チャン、バネット、サント、カズさん、なっちゃん、GIRASUN、サンコウさん、ヨッシィ-、つくし 男7名 女4名 計11名 |
国分寺北口/10時→姿見の池→東山道武蔵路→土師縦穴住居跡→国分寺仁王門→国分寺薬師堂→国分寺仁王門→国分寺跡→文化財展示資料室→国分尼寺→武蔵台公園→12時/武蔵国分寺跡→史跡の駅おたカフェ→武蔵国分寺資料館→お鷹の道→真姿の池湧水群→お鷹の路→殿ヶ谷戸庭園→15時/国分寺南口 |
史跡武蔵国分寺跡は知っているようで知らない。そもそも国分寺とはから始まって、本日はいろいろと情報に触れて1,300年前の往時を偲んでみた。距離にしてわずか5㎞程度であるが、当初はそれほど期待していなかったが、資料室などにより情報を得るたびに興味は湧き、知る、訪れる、見ることでいろいろと内容は濃かった。 国分寺南口を出て西国分寺駅に向かうが中央線沿いの遊歩道を歩き恋ヶ窪の姿見の池にまず訪れる。ここは鎌倉時代に恋いにまつわる伝説のある池ということで、現在は緑地保全地区として整備され、里山の風景を偲ぶ。 北口に回って東山道武蔵路跡は当時の全国をネットしていた官営古道の内の一つであり、国府の置かれていた府中から東北に向けて貫く古道が国分寺、国分尼寺の脇を走っており、全国は官営古道ですでに結ばれていた。 まだ歩き始めて1時間もしないうちに武蔵国分寺跡にたどり着く。奈良時代、国内では相次いで飢饉や、干害、大地震による災害、疫病が流行し、時の政府の中心的役割を果たしていた藤原4兄弟が疫病でなくなり、混乱の最中、741年、天武天皇が鎮護国家を祈念し全国70ヶ所以上に7重の塔を持つ寺院を建立したが、武蔵国分寺はその中にあっても一際規模のおおきな寺院として建立されている。しかし鎌倉時代末、「分倍河原の戦い」で消失。東西1.5㎞、南北1㎞と大きい。 続いて文化財資料展示室にて情報の整理。さらに国分尼寺跡を訪れる。ここもよく整備されていた。何となく緑濃い武蔵台公園に引き寄せられ20分ほど緑陰を歩き、またもとの国分寺跡地にもどり昼食となる。 国分寺の跡地の背景をなすのは国分寺崖線である。ここは豊富な湧水に恵まれ、湧水は野川に流れ、やがて多摩川へと導かれている。湧水周りは紅葉がみられ、ようやく持参のカメラを構える。 付近では農家の軒先に農産物が販売されていて、我々の何人かはそれらを購入した。 湧水に添ってお鷹の道がある。これを辿って国分寺駅北口に出て、さらに進み>都立殿ヶ谷戸庭園に入る。入園料 一般150円、65才以上70円である。ここは紅葉見頃であり、シャツタ-音があちらこちらで聞こえた。我々のパーテイーでも5人がカメラを構え、これに追随した。特に次郎弁天池に紅葉が映え、なかなかの美観であり、ここに至って全員満足の声。1時50分から2時50分までは撮影タイムとした。 3時に本日の5時間に及ぶ散策を終了し解散。呑み会なく自宅に戻る。 |
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今日の参加みな様集合写真です(殿ヶ谷戸庭園で) |
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武蔵国分寺跡で |
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殿ヶ谷戸庭園、紅葉 |
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