石田三成が水攻めで落とせなかった城と国宝鉄剣が発見された古墳群を歩く
忍(おし)城からさきたま風土記の丘
リーダー GABIBO
2017年5月10日(水)小雨後くもり

L:GABIBO、SL:タバさん、ミ-タン、夏ちゃん、ロコ、りり、トット、イ-チャン、GO、サント、カズサン、GIRASUN
男性 7名、女性 5名 計12名

西国分寺7時40分→大宮駅→高崎線→熊谷駅→秩父電鉄→9時47分/行田市駅→10時29分/行田市郷土博物館→御三階櫓(復元)→11時30分/水城公園→12時38分/さきたま風土記の丘→丸墓山古墳→稲荷山古墳→双子山古墳→13時30分/さきたま史跡の博物館→さきたま神社→15時12分/さきたま風土記の丘バス停→行田駅→高崎線→大宮駅→埼京線→武蔵浦和→西国分寺駅

 電車を乗り継いでようやく行田市駅についたのは10時近くであった。小雨は止まず傘をさして歩く。まず、忍城本丸跡地にある行田市郷土博物館と御三階櫓に向かう。
 豊臣秀吉が小田原北条攻めの時、その一支城であった忍城を担当したのが数万の兵を率いる石田三成であったが、天正18年(1590年)、関東7名城の一つと言われた忍城を水攻めするものの失敗したという故事来歴のある城であるが、現在は明治維新で城は解体され、その面影もなくようやく復元された御三階櫓が城らしい面影をのこすのみである。
 それでも「さきたまの歴史」を古代から近世まで展示されている郷土博物館を回る。いつもの事だが展示物が多くよほど焦点を絞って見ないと印象に残らないこととなる。行田は全国有数の足袋の産地であることを知る。
 御三階櫓に登り往時の忍城を偲んでみる。 
 行田市の観光に掛ける意気込みは忍城城跡を全面的に整備していることで、昔、外堀であった水辺を水城公園として市民に開放しており、その一角で早めの昼食として、本日のメインイベントさきたま風土記の丘に向かう。
 雨は止み曇天である。風土記の丘に入るとおおきな古墳が見えてくる。いたるところに大きな古墳がある。大きなものでも9基あるという、その内の丸墓山古墳に登る。高さ19mというが実感はもっと大きく感じた。頂上からの展望は良い。かつて石田三成がここで水攻めの指揮を取ったところだ。450年前の話だが、この古墳は1500年前の古墳であり、悠久の歴史的建造物であり、当時の権力者がこれほどのものを作ったということに感銘する。
 国宝の金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が出た稲荷山古墳にも登る。埋葬時のレプリカが頂上にあった。この二つの古墳以外は登らせないという。
 さきたま史跡の博物館により、古墳からの出土品などを見学し、たまたま学芸員の説明を聞ける幸運もあって、古墳についてうといわれわれはすっかり古墳通となったか?関東でも数千基発見されているという。多摩地区に居住する我々は大正天皇、昭和天皇を祀る多摩御陵が思い浮かぶが、これだけの古墳を古代の権力者が競って建造したことに驚きである。人員の動員力が無ければとうてい出来ない建造物であり、どれほどの権力者であったのか興味津々である。
 本日は歴史を学ぶ一日であったが、それなりに充実感をもつて帰路を急いだ。



水城公園で集合写真 1



水城公園で集合写真 2


 
丸墓山古墳へ登る


 
 
忍城天守閣



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