高畑山から倉岳山
  
2007年1月13日(土)    

   参加者 L加藤、石村、増田、大浦、野口、山田、矢部
7名
 今日も天気はいい。無風快晴。この冬、一番の寒さと思われるほど指先が冷える。ようやく手袋をしたいと思う。これまではそれほどではなかった。
 鳥沢駅から歩きだす。ところどころ道が凍っていて、昨夜は寒かったようだ。遠くに見える小金沢連嶺は一部真っ白く、ようやく冬山らしくなったきた。
 小篠貯水池から石仏のある分岐まで30分くらいだろうか、冬でもしっかりと流れるオシノ沢に沿って歩く。さして大きな沢ではないが、沢に冬枯れはないのか、水量があり、水に乏しい砂漠地帯の国などと比較してなんと日本の国は恵まれているのかと思う。
 やがて石仏に至る。ここで右に分岐して高畑山を目指す。高度を上げるに従い、目 の前は扇山、百蔵山、つづいて小金沢連嶺の山々が見え、遠く南アルプス北岳らしい雪山が顔を出す。展望はいい。ところどころの斜面にうっすらと雪を残す冬枯れの道をゆく。きつい登りをこなして、いったん山懐に入り、またきつい登りをこなすと高畑山山頂982bに至ると、真っ白く大きな富士山に出逢うことが出来た。
 本日はお目にかかれたという思いだ。無風だったのが幸いしたか。出来不出来は解らないが、一応富嶽12景の一つが写真に撮れた。
 富士見しながら早めの昼食。今日は登山客も多い。本当に中高年は山好きだ。今の中高年の幼き時代はどこでも自然があった。冬ともなれば疎開先の親戚の家(農家)の軒先につららが何本 も連なっていて本当に寒むかった。靴下、手袋も満足になかった。あかぎれやひびわれは誰でも抱えていた。今はどうだろう。すくなくとも当時に比較したら、ほとんど完全装備といってもいい状態で冬山を訪れて楽しむことが出来る。中高年は昔の自然を味わいに山におとずれるのか。
 つぎの目標、倉岳山に向かう。
 途中、天神山山頂から、すこし尖って雪がところどころある山が見えた。ある人は「あれは雲取山ではない」かと言う。それを「雲取山はあんなに尖っていない、鷹巣山ではないか」と否定してしまったが、帰ってから地図を見て確認すると、あの位置からは
鷹巣山は見えない。正解は、雲取山であった。天神山を下ると穴路峠に出る。ここは大月市と秋山郷を結んだ往還の峠で、昔から盛んに通られた峠であり、それぞれ嫁さんが通った峠であろうと誰かが言っていた。
 峠から倉岳山に向かう。途中、なぜか「六根清浄、お山は晴天」というかけ声を掛けたくなった。適度の登りであり、余裕がそうさせる。さらに誰かが「六根清浄、お山は晴天、懺悔、懺悔」という。懺悔が子供の頃は「大儀、大儀」と聞こえたという。六根とは「目、耳、鼻、口、意(こころ)、身(身体)」の事だという。まさに山登りとは感覚器官を正常にして、こころと身体の清浄をはかるすばらしい働きをなしていて、山から帰ると身体こそ大儀だけど、「心身ともにさわやか」になるのは。登山のお陰だ。
 急登をこなすと倉岳山990bに到達(12時45分)。ここでも富士山が展望され、
反対側の猿橋、鳥沢などの展望もよく、楽しむ。
 下りは立野峠出て、月屋根沢の沢沿いをゆっくり下る。標高1,000bの山の沢にしては立派な渓谷をなしており、水量豊富でる。今日は、1,000bには、わずから足らないが、冬枯れの中、登山し六根清浄を得て、心身ともにさわやかになり下山するとこが出来て、小さな幸せだ。
 梁川駅にて酒類を調達した。この酒屋さんに「倉岳山」という銘酒が売られていて価格990円となっていた。郷土の誇り「倉岳山」の標高990bにちなんでいた。
 帰りがけ四方津駅の車窓からみた倉岳山は鋭角の山頂をもち、なかなかの風格であり、魅せた。

記:加藤      

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